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by yuutiharu

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一冬土の中に寝かせて、春になってから大切に植え付けられた酔芙蓉をいただきました。小さくのぞいていた黄緑色の芽が次第に大きくなっていく様子を、水を切らさないよう気をつけながら見守りました。梅雨の頃葉っぱが勢いよく大きくなり、これはもしかしたら今年花が咲くかもと期待がふくらみましたが、下さった方は今年は花は無理かもとおっしゃっていましたのでどうでしょう。そのとおり葉っぱは大きくなってもつぼみらしいものは全く見当たりません。でもでも、これは何?つぼみ?それとも大きくなるにつれて葉っぱになってしまうのでしょうか・・そしてこれが今の姿、どうみてもつぼみです。さて咲いてくれるでしょうか?日に日に涼しくなっていくのが心配な今日この頃です。
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ついでにきれいなアブチロンとコエビソウを
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by yuutiharu | 2009-09-19 16:34

旅 4

実城(みじょう)とお館(おたて)
六日町の坂戸山にも実城があり、ここ春日山にも実城があるという。どうして実城が二つあるのだろうと不思議に思う。色々探った結果、実城というのはお城の本丸のことらしく、坂戸山には実城太鼓というものが今も残っており、春日山の城主はお実城様と呼ばれていたらしい。聞きなれない言葉なので引っかかってしまった。もう一つ引っかかった言葉に、お館(おたて)がある。お館の乱は有名であるが、坂戸城跡にもお館跡があるので、これまた考え込んでしまった。またまた探った結果、お館とは、防御設備を備えた豪族や領主の邸宅のことで、平常時は城主は館においてこの地方の行政を行っているが戦いが始まると本城に居を移して防御を固め指揮をとったとあった。(勝福寺解説)これで私の疑問は解決しました。お館の乱のお館は、前関東管領上杉憲政の館で、ここに景虎がたてこもって戦ったのでお館の乱と呼ばれているのでしょう。

春日山
上杉謙信、その跡を継いだ上杉景勝のお城のあった春日山とはどんな山だろうと楽しみにして来ました。高さ180メーターということだから634メーターの坂戸山に比べればだんぜん低い。丘よりも高いが小山といったところでしょうか。驚いた事にひとつの山が丸ごとお城といった感じです。頂上には実城(本丸)跡や毘沙門堂があり、少し下がって二の丸、景勝の屋敷、そして3の丸には景虎の屋敷跡がありました。お館の乱のとき景勝派がいち早く本丸を占拠出来たのは、景勝の屋敷の方が少し本丸に近かったということもあるのかなと想像しています。もちろん兼続の屋敷跡もあります。中腹には春日山神社がありますが、残念ながら私たちはここまでしか登ってくることはできませんでした。近くに住んでいれば頂上まで上って、こころゆくまで兼続の時代をしのぶ事ができたでしょうのに・・

春日山林泉寺
当時、守護の上杉氏よりも力を持った守護代であった父長尾為景に疎まれて育った謙信(幼名景虎)は、お前は坊主になれと7歳の時この林泉寺に送られます。しかしここでしっかり勉学に励み、後に父の春日山城を継いだばかりか、すっかり力を失っていた関東管領上杉憲政に上杉の名前と関東管領職まで譲られ上杉謙信となります。
林泉寺の惣門は、春日山城の裏門を移築したものといわれ、ありし日の春日山城をしのぶ唯一の建物です。
林泉寺 惣門
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上杉謙信公のお墓
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甲冑をつけ甕に納められた謙信公は、上杉家の国替えと共に会津、米沢と移されましたが、現在は米沢の上杉家廟所の中央に手厚くお祀りされているそうです。ちなみに手前の小さい方が、当時からのものということです。林泉寺にあるのは墓石のみです。
これにて天地人ゆかりの地を訪ねて「越後編」はおわりですが、次はぜひ「米沢編」をと今から楽しみにしています。
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by yuutiharu | 2009-09-07 00:05

旅 No3

さて景勝と兼続主従の生まれ育った南魚沼六日町の坂戸城下から、私たちの兼続をたずねての旅の舞台は上杉謙信の居城春日山へと移ります。まず東京から上越新幹線で越後湯沢、越後湯沢から上越線で六日町へ、ここで一泊。六日町から北越急行ほくほくせんで直江津、直江津で信越本線に乗り換えてはるばる妙高高原へ、そしてこの日のお泊りは赤倉温泉です。次の日はいよいよ「天地人ゆかりの地めぐり」号で景勝、兼続ゆかりの地めぐりです。なんと驚いた事に私たちがこのバスの3000人目のお客さんだということで、素晴らしいお土産を頂いてしまいました。バスの他の乗客の皆さんもお米などのプレゼントを貰いました。お陰でこの旅行はとても楽しいものになりました。
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お土産のお酒「鮎正宗」はなかなかおいしいお酒で、帰宅後旅の思い出を肴に楽しませていただきました。バスは、鮫ヶ尾城があった山を車中で見ながら、勝福寺へ、勝福寺ではお館の乱で跡目相続に敗れて鮫ヶ尾城まで逃れてきた景虎が、この鮫ヶ尾城でも頼みの城主堀江宗親に裏切られてここで自害しますが、その影虎を供養碑と石像を建てて大切にお祀りしてありました。この時景虎は若干26歳でした。勝福寺の隣は鮫ヶ尾城城主の館があったところと伝えられ「立ノ内館跡」として地元の人たちに大切にされているそうです。
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by yuutiharu | 2009-09-03 22:50